なりきれない女の雑記

なりきれない女の雑記

現実と虚構に溺れる毎日。

最近のこと(2019.09~)

夏も終わった。消費税が上がった。どこもかしこもキャッシュレス。前に並んでたおばあちゃんが颯爽とQRコードで支払ってるのを横目に、全く時代の波に乗り切れていない私は、今日も明るく現金払い。さぁて、皆様お元気ですか。笑。

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引っ越しをした。

結婚して3年、やっと1DKの小さい部屋から脱出することができた。同棲時代を含めると6年、お世話になった思い出深い家だった。新居となったのは、夫の祖父母の空き家をリノベーションした一戸建て。そこができるのに3年以上もかかってしまった。結婚と同時に夫の祖父母が相次いで亡くなり、東京の下町の住宅密集地にポツンと空き家が残っていたのだが、それを3年もの間、義両親や夫の親戚などの色んな人たちがあーだこーだなんだかんだ言って、やっとこさリノベーションして私たちが住むことになったのだ。長かった、本当に長かった。

正直なところ、私はこの家に住むことに反対だった。何度か前のブログにも書いているが、私は完全にマンション派で一戸建てに住むつもりも無かったし、何より自分たちが住むところは自分たちで選びたかった。町が嫌いとか、家が嫌だとかではない。自分の意志ではなく誰かに何かを決められたり、いらないものを押し付けられる感じが嫌だったのだ。(実際に今でも買い物依存症気味の義母がテレビ通販で買い漁った不用品を押し付けられている)しかし、いざ東京で新築マンションを買うとなると、私たち夫婦の収入じゃどうにもならない。THEブラックの定番・飲食業界の雇われシェフの夫と一介の零細企業のIT事務職の私では、23区内の新築マンションなんて文字通り雲の上の存在なのである。でも、もう前の家では限界だった。夫がアラフォーに入った中、飲食業という水商売で今後も賃貸で家賃を払い続けるなんて…と不安があった。背に腹は代えられない。おとなしく義両親の言いなりになってやろうじゃないか。23区内で新築同然の一戸建てに住めるのをガタガタ文句言うなんてお前ごときで贅沢なんだよ、とお叱りを受けるかもしれないが、それくらい私の中で葛藤した上での結論だったのだ。

いざ、私たち夫婦が住むことが本格的に決まると早かった。本当に大丈夫か?と心配になるほどのスピードで物事が決まり、あっという間にリノベーションが完了した。完成した家は、2LDKでとてもシンプルで使いやすそうな家になった。着工から数か月で新築同然になるという日本の建築技術って本当にすごい。

 

予想より早い完成と引き渡しになり、私の仕事の事情から少し引っ越しを早めたことで、ものすごいタイトスケジュールになってしまった。8月の休みのほとんどが、引っ越し業者との打ち合わせや、家具・家電やカーテン設置などの相談で家電量販店や家具店を駆け回る予定で埋め尽くされてしまった。そのほとんどは全て私一人での作業だった。これほどまでに、土日休みのサラリーマンの夫が欲しいと思ったことはなかった。こういう一大イベントの時に夫婦で休みが合わないというのは、結構つらい。まぁ、でもそんな夫を選んだのだから仕方ない。一人で勝手に全部決めてやった。笑(そう言うと語弊があるから弁解すると、夫は旧家の解体~リノベの段階で業者との打ち合わせ等全部やってくれたので、今度は私の番と思うことにした。)

引っ越し前日。エアコンの工事とベッドが届くため、私だけ新居に先に行くことに。翌日の引越し開始が朝8時からということで、そのまま一人で泊り込むことになった。(夫は旧居で翌朝荷物の運び出しを業者と行うという段取り)その日は夜から台風が来るという予報だった。荷物のない家に一人、しかも台風で外はものすごい風と窓を叩きつける雨・・・めっちゃ怖かった。笑 ほとんど眠れないまま翌朝を迎えた。

引っ越し当日。台風の影響で遅れるかと思ったが意外とスムーズに搬出・搬入が終わった。もともと荷物もそこまで多くないのでめちゃくちゃ早かった。マッチョな引っ越しスタッフさんたちが黙々と運んでくれるところを、ソワソワとうろちょろしてたので「奥さん、危ないんで座っててください」と笑顔で言われた。その後立て続けに新しく買った家具たちが届き、カーテンは1週間ほど無いが、とりあえず生活できる感じになった。

そんなバタバタした引っ越し作業の中、ご近所さんに挨拶したのだが、早速町内会の入会の話をされ、もちろん当たり前なんだろうけど少し面食らう。ああ、戸建の住宅街だなぁとひしひし感じた。うち以外周りはOver60の方々。若いからいいわー!と歓迎されたが、これから町内会の事に色々駆り出されたら嫌だなぁ…と、面倒くさがりの私は早くもネガティブな思いが発動してしまった。まぁ、あまり先入観を持たず、敵を作らない程度にご近所の方々とお付き合いできたらいいなと思う。

 

2日半の引っ越し休暇が終わって出勤し、また日常に戻って怒涛の業務に追われていたら、左目に違和感を覚えた。鏡を見ると白目が真っ赤になっていた。結膜炎か何かだろう、寝たら収まるかと思ってしばらく様子を見ていたら、とうとう激痛が始まった。こめかみから頭まで痛い。熱も少し出ていた。それでも仕事が山積みだったので、なんとか行ったが、涙でパソコンの画面が見えないので、やっと会社近くの眼科に駆け込んだら「角膜潰瘍」に罹っていた。黒目に炎症が起き白くモヤがかかり、腫れてしまっていた。15年以上コンタクトをしているが、こんなことは初めてだった。たぶん、引っ越し前後のドタバタで完全に疲れ切っていたからだ。肉体的にはもちろん、新しい街で暮らすという緊張感や環境に慣れていないからかゆっくり眠ることができなくなっていた。常に頭と心がフル回転。そりゃー調子も悪くなるわ。そんなわけで引っ越して2週間近くは体調が芳しくなく、すこぶる辛かった。しかも眼科できちんと検査をしたときに、「緑内障」の疑いも出てきてしまい、近い将来失明する可能性があるのか…と精神的にも参ってしまっていた。

そんな中、夫はなんだか意気揚々と筋トレに励むようになった。自分の城(?)を持ったからか、健康に気を遣うようになったようだ。ビールで膨らんだぽっこりお腹をしぼませようと、深夜にせっせと部屋でYoutubeの筋トレ動画を見ながら楽しそうにやっている。よかったね、と思いつつ、具合が良くなかった私は少し不貞腐れていた。夫だけが新しい生活に適応していて、私の気持ちが置いて行かれたような気がしたのだ。正直こっちは適応するのにいっぱいいっぱいで、新生活を楽しむ余裕がまだなかったのだ。自分の生活を楽しんでいる夫がうらやましくなって、そんな自分がまた嫌になった。

しかし、数日が過ぎ、少しずつ眠れるようになってきた。適度に手を抜きながら、新居での家事にも慣れ、町の雰囲気もわかるようになってきた。少しずつ自分のペースを取り戻し、また自分の時間を楽しむことができるようになってくると、体調も少し良くなってきて心に余裕が出てきた。眠る行為の大切さが身に染みた体験となった。また、目の調子も回復してきて潰瘍も治ってきて、改めて受けた検査で緑内障の件は1年に1回の検査が必要だがとにかく今は大丈夫ということだった。

 

そんなこんなでドタバタしていたらあっという間に1か月が過ぎた。親にも友達にもゆっくり会っていない。ドラマもほとんど流し見で、今年に入ってからゆっくり観てない気がする。ブログも全然書けていなかった。実は、夫と寝室を分けて自分の書斎ができたので、時間を作ってゆっくり記事を書いてみようかな。今回新しく買った自分用のPCデスクとおしゃれな椅子がとても気に入っている。コーヒーでも飲みながら自分だけの空間で好きな行為をするなんて、なんて贅沢なことだろう。

ちなみに夫と寝室を分けたのは、仲が悪いからではない。飲食業で深夜帰り・平日休みの夫と一般的な会社勤めの私とは生活時間が違って、私が睡眠不足で体調を崩すから。うちの親に話したらそれはやめた方がいいと言われたが、いざ分けてみると結構いい。お互い水瓶座で自由気ままな性格なので、夫婦とは言えどプライベートな空間は必要だったのかもしれない。一緒にいたいときは一緒にいる。少し離れたいときは離れる。そういうメリハリが私たちには必要だったのだ。ストレスが減って、お互い気持ちよく過ごすための良策だと今では思う。まぁ、一緒に過ごす時間が少ないからこそ一緒に寝るというのもわかるけどね。たまにそういう時間を作ればいい。それで心も離れたらそれはその時。仕方ないと思う。子供がいないからそういう風に考えるのかもしれない。子供というワードを口に出しても、まだ現実味がないし、欲しいという感情が生まれないからやっぱりまだ私には母になることが想像できないんだなぁ。そんなこと言ってると一生想像できないかもだなぁ。笑

それより夫と仲良く健康に年老いていく方が私には大事だ。

家の周りには年老いた方が多いのだけど、夫婦でつつましくも穏やかに暮らしている姿を見ると、素敵だなと思う。その年までこの土地にいるかは、まだわからない。でも、背骨が曲がってお互い目線が低くなっても、手を取り合って、たまにはおしゃれして電車に乗っておいしいごはんを食べに行ければ、良い老後だと思えそうな気がする。そういう風になれるように、新しい土地で穏やかに、あまり思い悩まずに、健康に暮らしていきたい。とりあえず、新生活を機にPayPayでも始めようかね。そう思う今日この頃だ。