なりきれない女の雑記

なりきれない女の雑記

現実と虚構に溺れる毎日。

8歳上のあなたへ

先日の4月28日は兄の命日だった。命日とは亡くなった日ということだけど、違う世界で生まれ変わった新たな誕生日と思うことにしている。兄は空から、父母と私がお墓の前でしみじみしていた姿を見ていただろうか。もう涙は出ていないので安心しているだろうか。もうあっちの世界では15歳。早いな。こっちの世界ではできなかったことを、あっちの世界で謳歌していると思うと少しにやけてしまう。

もしも元気だったら、兄は40歳。いい歳のおっさんだ。笑  健常者だったらどんなおっさんだっただろう。せめて若者にウザがられない距離感とマインドを持って、お腹も出ていないスマートなイケオジだったらいいなと思ってしまうよ。

 

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兄が亡くなってからの15年は本当に早かった。高校3年生だった私も、母が私を産んだ歳になった。父は年金を貰う歳になった。母は還暦を過ぎてより頑固になってきた。

そうやって歳をとって、時代が変わっても、兄への想いは死ぬまで変わらないと思う。

 

「きょうだい児」という言葉があり、病気や障害を持った兄弟・姉妹を持った人のことをいうのだけど、世間では大変だったね・かわいそうだったね、という目を向けられることもあった。確かに幼い頃は、脳性小児麻痺という重度の障害を持った兄の存在を疎んだ時期も正直あった。親の愛情を一身に受けられなくて、拗ねてしまった時期もあった。でも大人になって、親がどれだけ苦労して兄と私を育てたかわかるようになった。兄がどれだけ自分の想いを伝えたかったか、それができなくて悔しかったかを思うと今でも自然と涙が出てしまう。15年経った今でも、私は兄が恋しい。兄が今話せたらどれだけよかったかと思ってしまう。年老いた親のこと、夫の愚痴、色々相談したかった。

 

しかし、兄に脳性麻痺という重度障害がもしなかったら、きっと私は生まれていない。というか、今の私は形作られていない。もちろん精神的にネガティブなことも多かったけど、私は兄がいたからこそ様々な出来事を経験し、他の家庭では得ることがないであろう複雑な感情を持ち得ることができたことに心から感謝している。命に対する価値観や他者に対する思いやりは、兄がいたからこそ私の中で形作ることができたからだ。

だから、いつも墓前ではありがとうしか出てこない。

 

兄が過ごせなかった平成を、私は兄の分まで精一杯生きようとし過ぎて、悔いなく生きることはできなかった。そんなことしなくてよかったのに。私は兄の代わりではないのに。明日からは新しい時代・令和になる。あまりにも時が過ぎるのが早過ぎて、このまま歳を重ねるのが怖いけれど、心のどこかで「兄の分まで」と思ってしまっていた部分を捨てて、今まで以上に自分の為に生きていきたい。

これからも私がどんな風に生きていくかを、兄には空から見ていてほしいと思う。道を間違えがちな私を「あーあ、そっちじゃないのに」って、くすくす笑いながら見ていてほしい。そしてたまに、「おぉやるじゃん、妹よ」と言わせてみたい。 その時初めて、私が勝手に闘ってるものから解放されるのかな。笑

 

あと数時間で平成も終わりだーーーー。

令和もいい時代でありますように。